MENU

海外生活を終えた駐在妻達のその後。海外サバイバルスキルとそれぞれの居場所

2021年12月20日
岩井真理 (日本)

コロナに振り回された本帰国

皆さんこんにちは。ブラジル帰りのキャリアコンサルタント・マリです。世界中どこにいても輝けるキャリア&ライフを応援します。

早くも帰国して8ヶ月、まもなく2021年が終わろうとしています。せっかく帰国したのに、ほとんど緊急事態宣言下で、これまで都内から一歩も出ずに、仕事場と自宅を往復するだけの生活を続けておりました。

そんな中「ワクチン接種も終わるし、こちらへ遊びに来ませんか?」というお誘いを受けました。誘ってくれたのは、ブラジルでご近所だったA子さんです。

私より半年早く、2歳の男児と共に渡伯した若い駐妻さんでしたが、年上の私達にもフレンドリー、それでいて礼儀正しく接してくれたので、世代を超えたお付き合いが自然にできました。

そんな彼女も、コロナに振り回された一人です。2020年春、会社の命令で一旦日本へ帰国することになりました。

駐在3年目、「もうブラジルへは戻って来れないかも」と名残惜しそうな彼女とご家族を見送ったのが、ついこの前のことのようです。

「マリしゃん、またねぇ〜」日頃から一緒にお出かけしていたのですっかり懐いてくれていた息子ちゃんとも、腕がもげるほど手を振ってお別れしました。「今度いつどこで会えるのか」と不安な気持ちで車を見送りました。

結局その半年後に旦那さんの辞令が出て、本帰国となりました。でも、残されたアパートを片付けに来たのは、旦那さん一人だけでした。

 

ドキドキ本帰国後の初再会

そんなわけで、ブラジルでお別れしてから一年半、北関東に住むA子さんに会いに行くことにしました。私にとっては、帰国後初の遠出ですが、心強い旅の道連れは共通の仲間であるB美さんです。

B美さんも昨年本帰国しており、偶然にも私の家とほど近い所に住んでいます。ブラジルでは一緒に出かけたり、お互いの家を行き来していたので、帰国後も近場で会ったり、頻繁に連絡を取っています。

今回は東京から彼女の車で目的地へ向かうことになりました。久しぶりのドライブは遠足みたいでテンション上がります。一方で、A子さん親子に会うのはドキドキしました。息子ちゃん、私達を忘れていないかなぁ〜。

再会の場所は、A子さん宅から40分くらい離れた港町のお魚市場にしました。隣接する港で水揚げされた新鮮な魚介類が並ぶ、関東有数の市場です。お土産屋さんやお食事処も沢山あるので、美味しい海鮮ランチに舌鼓を打とうという企画です。

東京からは高速を使って2時間くらいの予定でしたが、私とB美さんはお喋りに熱中しすぎて、高速の乗り方をちょっと間違え、予定より20分遅れでお魚市場に到着しました。

「〇〇水産の大きな黄色い看板の前に車停めました」と、A子さんからLINEが入りました。私達も空いているスペースに駐車して、黄色い看板を目指して歩き始めると…、あっ!男の子が、手を振りながら、私達の名前を呼んでいます!

「久しぶり〜」ブラジルにいた時の癖で、ハグしそうになりました。息子ちゃんは少し照れたような様子でしたが、A子さんに促され、すぐに私とB美さんの手を取って歩き始めました。

そして、もう一人!A子さんが抱っこしているのは、帰国後に生まれた10ヶ月の娘ちゃんです。「なんだか不思議。さよならした時にはいなかったのに、二児の母になってるって、それだけ時間が経ったんだね」私達はこの一年半のことを思い返しました。

 

日本でブラジル生活をふりかえる

お昼ご飯は新鮮なお寿司をいただきました。回転寿司なのに、注文表を出すと握りたてを運んで来てくれます。マグロは脂が乗っていて、大きなエビ、白身のお魚の種類もたくさんあります。

息子ちゃんは大好物の納豆巻きをペロッと2皿平らげました。「あれ?いくつになったんだっけ?」と尋ねると、「5歳!」と答えました。そうか、お誕生日が2度来たんだね。

渡伯時、息子ちゃんは1歳半でした。初めての子育てを海外でしていたA子さんの不安な気持ちが頂点に達したのは、息子ちゃんの入院騒ぎでした。今考えても、どれほど心細かったことかと思います。

退院後も、食欲のない息子ちゃんのために果物を買いに来た彼女とスーパーでばったり会いました。いつも明るく、飄々とした印象の彼女も、どことなく疲れを残した表情で、「マリさん、何買ったらいい?」と訊かれたので、瑞々しい柑橘類をお勧めしました。

「なにしろ、2歳児の病院食なのに、ステーキ出たんですよ。さすが、ブラジルでしょ?」と言う話に、大爆笑しました。日本の常識はここでも通用しませんでした。

回らない回転寿司をお腹いっぱい食べた後は、市場でお買い物。どれも安くて新鮮で目移りします。

「ブラジルには、サーモンしかなかったね。お魚買う時は、サンパウロまで買い出しに行ったよね」内陸にあるカンピーナスでは、魚介類が手に入りにくく、120キロくらい離れたサンパウロの専門店へ行きました。

ちょうど東京とこの街くらいの距離。ブラジルにいると国土が広くて、距離感覚おかしくなりました。ちょっとそこまでが100キロでしたが、よく頑張って通いました。

 

海外生活で知らないうちに身につくスキルとは?

その後、A子さんのお家にお邪魔しました。本来なら、ご主人の勤務は別の街なのでその近くのアパート暮らしですが、一年半前に避難帰国した時から、親子3人、A子さんのご実家で暮らしています。

明るく開放感あふれる素敵なお家で、その後家族が一人増え、ご両親とワンちゃん、そしてこの夏に生まれた赤ちゃん連れでちょくちょくいらっしゃる妹さん、みんなでワイワイ、とても賑やかです。

「A子は、日本へ帰ってきたくなかったみたいですよ」と、お父様がおっしゃいました。ご自宅へお伺いしてみて、A子さんがどんなに愛情込めて大切に育てられてきたのかを伺い知ることができました。

初海外生活で、A子さんが大奮闘していたことを、私は知っています。良いことばかりではなかったけど、きっとご両親には楽しかったことやポジティブな面をたくさんお話しているのだろうと思いました。

コロナに振り回されて、思いがけない本帰国となったものの、それ込みで前向きに捉えて、帯同生活に区切りをつけたのでしょう。そこには、妻であり母であるA子さんの、娘でもある顔もありました。

私は先日「強み発見」をテーマに講座をしましたが、そこで取り上げたのは、海外生活で知らず知らずのうちに身につくスキルです。

見知らぬ土地で、逞しくしなやかに成長していったA子さんを目の当たりにすると、改めてそのスキルを実感します。

 

試してみないとわからないと思うようになった

B美さんからも、それを強く感じます。若くして結婚され、既にお孫さんもいるB美さんは、ばあばと言うにはあまりにも若くて綺麗です。

結婚後は家族のために多くの時間を費やしてきましたが、お子さんが成長して独立した後も、子供好きなB美さんは学童保育のお仕事などをしていました。そんな時、転勤になりました。

夫経由の話では「ウチの奥さんは、帯同すると言わないと思った」と旦那さんがおっしゃっていたとか。海外生活へのB美さんの覚悟の程が伺えます。

旦那さんのお迎え付きの赴任だったので箱入り奥様かと思っていたら、ブラジル生活の中では彼女はチャレンジャーで、興味を持ったことには次々挑戦しました。

趣味のウクレレをブラジルでも続けて、ポルトガル語の先生の前でミニ演奏したり、ものづくりが得意で、ご自宅を開放して手芸したり、ホームパーティーしたり、ホスピタリティ溢れる振る舞いが光りました。

「私、変わったと思う。前は、やってみようと思えなかったことも、ブラジル生活を通して、試してみないとわからないと思うようになったの。だって、じっとしてたら何にも進まないからね」と言いながら、今もまた何かにワクワクしています。

「ブラジル生活は、今思えば楽しい特別な時間だったね。この体験に感謝してる」とB美さんは言いながら、また母や祖母としての役割をこなしています。

 

ライフキャリアレインボー

仕事人間だった私もまた、ブラジルへ行かなかったらこの仲間には出逢えなかったでしょう。初めての専業主婦生活も、私にとって視点を変えるチャンスでした。

だから、全く違う人生を生きてきた人達と遠いブラジルで出逢ったことにご縁を感じます。そしてまた、こうしてその後を見届けられることにも感謝の気持ちが絶えません。

ふと「ライフキャリアレインボー」と言う理論を思い出しました。

人はその時その時、人生の役割を果たしています。役割は一つではないので、まるで虹のようにいくつも重なり合い、幅ができます。

A子さんの娘としてのロール、B美さんの祖母としてのロール、私の労働者としてのロール、ブラジルの時間では少しお休みしていましたが、今またライフキャリアレインボーとして復活し、その役割を果たします。

変幻自在に役割を捉えれば、どんな環境に置かれても、その時間の意味づけができ、居場所が見つかります。海外生活サバイバルスキルを身につけた駐妻達のその後を見て、そう気づきました。

帰り際に、梅で有名な庭園へも行きました。季節ではなかったけれど、日本独特の佇まいに、やっと帰国した実感が湧きました。紅葉し始めた木々が夕日に照らされた美しい晩秋の一日でした。

Written by 岩井真理(日本)

この投稿をシェアする

イベント・セミナー一覧へ
コラム一覧へ
インタビュー一覧へ
ブックレビュー一覧へ
セカウマTV一覧へ
無料登録へ