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家族の形は無限大。家族の定義は私達ひとりひとりの心の色

2022年6月9日
野林薫 (オーストラリア)

私のもう一人の父はイギリス人

上の写真に写っている私の父を紹介します。

彼の名前はカイ。西オーストラリア州のパースに長いこと住んでいるイギリス人。頑固でちょっとヘンクツ親父だけど、温かいハートを持っている、私の「オーストラリア」でのお父さん。

17年前、カイと彼の元妻イレインの家でホームステイをしながら、私は彼らからオーストラリアで生きていくために必要な英語と文化をたくさん教えてもらった。

親子ほどの年の差はないにせよ、彼らの家でイチから言葉を学び、困ったことがあったら助けてもらったりと、まるで「娘」のように育んでもらったことはいくら感謝しても足りないくらいだ。

2006年にカイとイレインの家を巣立ってシドニーに移って以来、会う機会が激減してしまった私達。メールのやりとりなんてほとんどしない私達だけど、数年ぶりに会っても、何も変わることなく一瞬にして以前のように笑い合える。

ちなみに冒頭の写真は、2020年にカイが現在のパートナー、ヒラリーとシドニーに遊びに来たときに撮影したものだ。

数年ぶりに会ったにも関わらず、相変わらずの頑固親父ぶりを発揮するカイに大きな安心感を感じた。

 

オーストラリアで知った家族の多様性

オーストラリアでは様々な形の家族が存在している。

養子縁組みで子供を迎えた同性カップルファミリー、養子縁組みにより、海外から子供を迎えたファミリー、様々な事情で親と暮らせなくなったオーストラリアの子供を養子として迎えるファミリー。

施設で暮らす子供を定期的に迎え入れ、家庭の温かみを教えるフォスターペアレンツ、部落に住む住民全員を家族として考える、オーストラリア先住民、アボリジニ民族。

そして私が体験した、カイとイレインの家でのホームステイも、「私にとっては」家族の形のひとつ。

日本に住んでいる時は「家族」といえば、血がつながっているのが当たり前だと信じていた。

子供の頃観ていたテレビドラマで、自分は実は養子だったと知り絶望する子供や、養子であることをひた隠しにする親のシーンを観て、「養子であることは悲劇なんだ」と信じ込んだ。

オーストラリアに来て間もなかった頃、とあるレストランで信じられない光景を目撃した。白人の中年カップルが5歳くらいのアジア人の男の子と同じテーブルで食事をしていたのだ。

血が繋がっていないだけじゃなく、さらには国籍も違う人間同士が家族のように存在していることにものすごい衝撃を受けた。

 

家族とは様々な感情を経験するための集団

「あの子、養子なんだ」と言う言葉をグルグルと頭の中に巡らせながら、気づかれないようにその家族を観察した。

いろんな形の家族が存在することが当たり前なんだと思えるようになった今でさえも、生まれて初めて目にしたあの、白人カップルとアジア人の男の子の家族の光景は脳裏に焼き付いている。

私が握りしめていた「家族は血がつながっているのが当たり前」という思いがいかに強かったかを教えてくれる貴重な体験だ。

私と実の母との関係は長い間壊れたままだった。

だけど、あの時泣きわめきながら私を罵倒してシドニー行きを反対した母も、今では私のオーストラリアでの人生を喜んでくれている。

現在、ふるさとの福岡に帰省している。7年ぶりに会った母は、なんだか優しくなっていた。あの当時、お互いに固く握りしめていた怒りの感情も、今は色あせたものになっている。

母のおかげで、人生を思い切り生きることができる私は本当に幸せ者なんだと、母に対する気持ちの変化に嬉しくなる今回の福岡帰省である。

Written by 野林薫(オーストラリア)

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