数えてみれば、私の北米在住ももうすぐ30年になりますが、お金では買えない貴重なものをたくさん得ることができました。
そのうちの一つは、心の内を語り合えるネイティブカナダ人の友人ができたことです。
最近そんな素敵な女性の一人マリリンと1年ぶりに会い、ランチをしました。
マリリンとは息子たちの通う小学校で、図書館でのボランティアを通して知り合いました。
彼女は図書館員として先輩であるだけではなく、人生において、そして一クリスチャンとしても大先輩です。
困難に直面した時、私より倍に近い人生経験があるマリリンと話していると、自分の抱える悩みがとるに足りないものに思えて、悩みが吹っ飛び、心が軽くなります。
人生の大先輩なだけあって、マリリンとの会話や生きる姿勢からいつも勇気をもらい、励まされ、慰められました。
マリリンのような友人に恵まれたおかげで、人間としても成長させられました。
今ではネイティブ、ノンネイティブと意識することがなくなりましたが、実は私は自分がノンネイティブであることをとても意識していた時期がありました。
留学した当初、特にESLに通っていた1年目は、お互い英語が母国語ではないクラスメイトたちとの交流がメインでした。
その後、大学に進んでも留学生同士過ごすことが多かったため、英語圏である北米にいながら、間違った英語も文化の違いもあって当たり前、まったく気になりませんでした。
ところが、カナダに移住し、今住んでいる白人メインの町に引っ越してきて以来、ネイティブではない自分を意識し始めました。
留学生同士では気にならなかった自分の英語レベルも、ネイティブカナダ人との会話ではその差がはっきりと分かります。
その上、ランチはチーズとクラッカーだけで簡単にすませることや上履きがあっても土足も許してしまうところ、または靴下で外に出てしまうところなど、文化の違いにも戸惑いを感じ始めました。
移民の国カナダに住んでいながら、外国人である自分を意識し、ネイティブカナダ人との交流に違和感を感じ始め、やがてそれがストレスになり、子供たちと一緒に居留守を使ったこともあります。
あの頃の自分を振り返ってみると、今こうしてネイティブカナダ人の友人がたくさんいることが奇跡のように思えます。
私が「外国人」と感じる壁を乗り超えられたのは、「間違った英語も文化の違いもあって当たり前」というマインドを持ち直せるようになったからです。
英語ネイティブ・ノンネイティブではなく、英語をコミュニケーションのツールとして捉えられるようになれたことも難関を突破し、前進できた秘訣でした。
そのおかげで、80歳のマリリンを始め、私の両親と同年代の方たちとも世代を越えた親しい友人としてお付き合いさせてもらっています。
父や母のような存在でもあり、兄弟姉妹のような、ベストフレンドでもある、家族のようなネイティブカナダ人の友人たちにめぐり逢えたご縁に心から感謝します。
Written by 林いくえ(カナダ)