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50年の進歩を5年で!創立わずか64年のブラジルの首都ブラジリアへ

2024年3月2日
HIROMI (ブラジル)

約5年間で完成した新首都

Olá! ブラジル・サンパウロ州在住のHIROMIです。この間、ブラジルの首都ブラジリアに遊びに行ってきました。

夫は出張で何度も行っていますが、私と娘は行ったことがなく、友人が住んでいることもあり、元々興味があったので、平日半ばから週末にかけて行ってきました。

ブラジルの首都は、二度移転しています。まずはサンバ発祥の地サルバドール、その次がオリンピック開催都市リオ・デ・ジャネイロだったんですよ。

元々ブラジリア首都移転の計画は、18世紀の当時まだポルトガルの植民地だった時代からありました。

1946年の憲法に首都の移転が規定された後、さまざまな検討を経て、1956年に大統領に就任したジュセリーノ・クビチェック氏によって実行に移されたのです。

「50年の進歩を5年で」というスローガンのもと、内陸部の何もない土地で新首都の建設を推進し、1955年に着手して、1960年にはほぼ完成したので、約5年間で完成したことになります。

1950年代はちょうどブラジルが工業化を始めた時で、経済発展の時期に重なったことで、首都移転が効果的に実現できたというのもあります。

今のブラジルの工業工事の状況を見ていると、「え〜?!本当に!?」と思ってしまいます。ワールドカップもオリンピックも間に合わなかった箇所がありますから。

メトロ開設も「ライン1本が完成するまで最低10年は掛かる」と揶揄われている、今のブラジルからすると驚きのスピードです。

 

ブラジルのアイデンティティを構築

ジュセリーノ・クビチェック元ブラジル連邦共和国大統領

首都移転の最大の目的は、「ブラジルのアイデンティティを構築すること」でした。

ブラジルは多民族から構成されており、旧首都のリオ・デ・ジャネイロはポルトガルの影響を非常に強く受けていました。

そこでブラジルの多民族統一のため、国民国家を象徴するような一つの都市を造る必要があったのです。

そうしてわずか5年間で新首都がほぼ完成した訳ですが、その脅威のスピードの理由はリーダーシップによるところだと考えられています。

クビチェック元大統領は極めてカリスマ性の強い人で、どんな人でも魅了することができたという伝説があります。

また、ブラジリアの伝説の一つで、クビチェック元大統領は古代エジプトの君主であるファラオの生まれ変わりだ、ブラジリアは古代エジプトの都市アケナトンの生まれ変わりだ、と語られているとか。

 

ブラジリアは世界遺産に登録された計画都市

国会議事堂見学へ。2023年ブラジル三権広場襲撃事件で壊された数々の芸術品を展示

ブラジリアは空から見ると、飛行機の形をしていることで知られています。

機種にあたる部分には政府機関が並び、翼の部分に居住区が広がっています。居住区は等間隔に配置されていて、その中に商店街や公園、教会といった生活に欠かせない施設が配置されています。

64年経った今、時代の流れとともに変わってきていますが、職業別で住む居住区が違うなど、大変興味深いと思いました。

そして、銀行は銀行が集まるエリアに、ホテルはホテルが集まるエリアにといったように、同じ業種が同一地区に集まるように初めから計画されています。確かに私が宿泊していたホテルの横並びはすべてホテルでした。

また、カーブが多い街だなというのを感じました。ぐるぐるとループ道路を走る道がたくさんあり、しかもスピードが早いので、娘は「目が回る〜」と言っていました。

調べてみると、このカーブが多いのは防犯対策にもなっているとのこと。確かに直線よりカーブが多いと逃げるのは大変ですよね。

64年前は今のように犯罪が多い国ではなく、プロジェクトとして工事を進めたと思うのですが、まさか防犯対策になるとは当初は思わなかったでしょうね。

 

失敗作と批判も受けた首都開発プロジェクトのその後

ブラジリアの代表的な創造物と宿泊したホテルの様子

さて、この飛行機の形をした都市は「Plano Pilotoプラノ・ピロット – パイロット・プラン」と呼ばれていて、この都市計画を考えたのが、フランス出身の建築家、都市計画家ルシオ・コスタ。

彼は師である近代建築の巨匠ル・コルビュジエが提唱した合理的な都市計画に従って、ブラジリアの「Plano Piloto」をまとめました。

当初は「人工的で人間味のない都市」「世紀の失敗作」といった批判があったものの、ブラジリアが都市として成熟するに伴い、上記の通り、生活環境などの面で好意的な評価が定着しつつあります。

また、建築家、都市計画家ルシオ・コスタのみならず建築家オスカー・ニーマイヤーによって設計されたプロジェクトで、都市全体が芸術的な創造物であるというのも人々の関心を集めています。

また、これらの建築物は同一地区にまとめられているため、ブラジリア観光は1日で回ることができます。

ただし、写真右上にある建築家、都市計画家ルシオ・コスタの作品が見られるのはテレビタワーの展望台で、少しでも雨が降ると登れませんのでご注意を。

最後となりますが、今回私が宿泊したRoyal Tulip Brasília Alvoradaは街の外れの方でしたが、場所が大統領官邸や政府機関の近くで要人が滞在しているためか、サービスが行き届いていて、子連れには最高のホテルでした。

このホテルは、京都出身で日本からブラジルに帰化した美術家の大竹富江氏の息子であり、建築家のルイ・オオタケ氏が建築デザインをしています。

大竹富江氏は帰化したので、元日本人ということになりますが、ブラジル国内の様々な公共の場所で彼女の作品が見れます。

ブラジルの建築物はオスカー・ニーマイヤー氏がとても有名ですが、美術家 大竹 富江氏もいることをお忘れなく。

最後まで読んでくださって、Muito obrigada!! ブラジリアの建築物についてはこちらから読むことができます。

Written by HIROMI(ブラジル)

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