2024年3月にイギリス開催されたバドミントンの国際大会、全英オープンでインドネシア代表選手たちは数々のメダルを獲得したことが大きく報道されました。
中でも男子シングルスのカテゴリーで、1994年以来30年ぶりにJonatan Chesrtie選手が金メダルを獲得したことはインドネシア国内でも大きな話題となりました。(参照:kompas.com)
実はインドネシアは、これまでに数々の国際大会でメダルを獲得してきたバドミントンの強国です。そう、バドミントンはインドネシアの「お家芸」なのです。
今回のコラムでは、今輝かしい功績を見せ続けるインドネシアとバドミントンについて、その歴史を振り返ってみたいと思います。
インドネシアでバドミントンが普及したのは1930年頃。当時イギリスの統治下にあった隣国のマレーシアやシンガポールから伝わったと言われています。
独立を果たした後の1950年頃から、インドネシア国内でスポーツの国家プロジェクトが始まり、1951年にインドネシアバドミントン協会が設立されます。
1953年には世界バドミントン協会にも正式に入り、当時のスカルノ大統領はスポーツの分野でインドネシアは世界ランク10位以内に入ることを目標に掲げました。
上2枚:インドネシアバドミントン界の伝説Rudy Hartono選手、下:全英オープン男子シングルスで金メダルを獲得したJonatan Cheiatie選手。コンパス紙(kompas.com)より
1958年にシンガポールで開催されたトマス杯での金メダルを皮切りに、1960年代にかけてホームのインドネシア、そして東京開催のトマス杯で連続で優勝という功績を挙げ続けました。
その後、1970年代に入ると、全英オープンで優勝実績も出始めます。
今でもインドネシアバドミントン界の伝説としてその名が語り継がれるRudy Hartono選手が、全英オープン男子シングルスで8回の優勝を成し遂げ、ギネス記録にも載り、この記録は現在まで破られていないそうです。(参照:kompas.com)
1980年代に入るとバドミントン中国代表選手たちが台頭してきて、インドネシア代表のメダル獲得数は減り始めますが、1990年代に入るとすぐに盛り返します。
1992年のバルセロナオリンピックでインドネシア代表としては史上初のオリンピック金メダルを女子シングルスで獲得しました。
金メダルはオリンピックでは初めてですが、もちろん同大会からは銀・銅メダルも持ち帰っています。
4年後のアトランタオリンピックでも金メダルを獲得し、バドミントンインドネシア代表はオリンピックでもメダル常連入りを果たします。
「町の屋内コート」という感じで大人も子供も練習している場所があります
記憶に新しいところでは、2021年の東京オリンピックでもバドミントンインドネシア代表は金メダルを含む、輝かしい成績を残しています。
オリンピック以外でも、トマス杯や全英オープンで1990~2000年代以降もメダルを獲得し続け、現在に至ります。
1950年代に初代大統領が掲げた「国際大会で10位以内に入る」を大きく上回る世界トップレベルの選手を輩出し続けているのです。
今ではインドネシアの国内企業がスポンサーの国際大会も開催されるようになり、日本をはじめ世界各国からトップレベルの選手が首都ジャカルタに大会のためにやってくるようになりました。
スポーツは時にお金がかかるものですが、インドネシアでは道端で物売りおじさんがおもちゃを売るように安価でバドミントンのラケットを売っていたり、大都市だけでなく小さな町でも屋内バドミントンコートが各地にあったりと、小さな子供から大人まで気軽にバトミントンを楽しめる環境があります。
次のオリンピックはじめ、国際舞台でのインドネシア代表の活躍がこれからも楽しみです!
Written by 杏子スパルディ(インドネシア)