こちらのコラムを読んでくださっている皆さんの中に、日本のJリーグが初めて創設された頃を覚えている方はどれくらいいるでしょうか?
ちょうど今から20年前の1993年に創設されたJリーグ。当時私は小学年でしたが、あの盛り上がりのすごさは今も記憶に残っています。
Jリーグができて以降、まわりの友人たち、特に男子小学生はサッカーの話題で盛り上がり、筆箱、鉛筆、下敷きなどの文房具をはじめとするグッズを持っている子が増えたり、JリーグのチームのTシャツやジャージーを着ている子を見かけることも多くなりました。
それからわずか9年後の2002年には、日韓共催で初めてのワールドカップが日本で開催され、その時には国民みんながサッカーに関心を持つようになり、すごい人気となりました。
実は今、ここインドネシアで、1993年Jリーグ設立直後のような、そして2002年の日韓共催のワールドカップの時と同じような雰囲気とパワーを感じています。
今回はインドネシアのサッカーの歴史と、2023年目が離せないインドネシアサッカーの今をお伝えしたいと思います。
今回コラムを書くにあたり、インドネシアでのサッカーの歴史について調べてみると、その歴史はとても古く、なんと1910年代のオランダ占領時代にまでさかのぼります。
1914年に東インド会社の中でアマチュアリーグができ、数十年にわたりこのリーグでサッカーの試合が行われていたようです。
現在の国内リーグLiga Indonesiaができたのは、日本に遅れることたった一年、1994年のことでした。
インドネシアのサッカーファンは数も多いですが、彼らはとても熱狂的です。国内リーグの試合でもどこかの国のフーリガン並みに激しく盛り上がります。
Liga Indonesiaのいくつかのチームで、これまでに複数人の日本人選手が所属・プレーしていたこともあります。
国内でそれだけの盛り上がりを数十年にわたり見せてきたLiga Indonesiaがその名を、残念なことにバッドニュースで世界に知らしめてしまったのが2022年に起こった事故です。この事故で、インドネシアはFIFAからの視察も受けました。
それに続き、今年に入ってからまたある出来事が・・・。
2023年5月にアルゼンチンで開催されたU-20 ワールドカップの元々の開催国は、インドネシアに決まっていました。そして国内でもその準備が進められてきました。
ところが、複数の政治家が宗教・政治的問題を理由に、イスラエル代表の出場(入国)を拒否したのです。そのことが問題となり、インドネシアは開催国としての資格をはく奪されてしまいました。
しかも、サッカーのインドネシア代表チームの出場資格もなくなってしまったのです。サッカーファンと選手たちは悲しみ、政府への不満を選手も公式SNSで堂々と発言。
最終的には、問題の政治家たちに公式・非公式に面会し、励ましを受け、「和解」となりました。(ここで謝罪はしないのがインドネシアです)
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