マレーシアのクアラルンプールからこんにちは、土屋芳子です。12歳の息子が最近修学旅行に行ってきたのですが、世界が身近に感じられる出来事があったので書いてみたいと思います。
息子はマレーシアでは老舗のIBカリキュラムのインターナショナルスクールに小学1年生から通っていて、現在中学2年生になります。
この学校はクアラルンプール、スバン、ジョホールバル、ペナン、イポーとマレーシア内に5キャンパスあるため、昨年末にジョホールバルからクアラルンプールに引っ越して、キャンパスが異なる同じ学校に編入して通っています。
ジョホールバルのキャンパスはマレーシア人生徒が多かったのですが、クアラルンプールのキャンパスに編入したところ、さすが首都、さらに多様な国籍の生徒が在籍しています。
多くの大使館が集まる地域から15分ほどの場所にあるキャンパスだからか、特に中東出身の子が多いです。
もともとマレーシアはムスリムが大多数を占める国なのでハラルの食品は簡単に入手できますし、学校の食事も基本的にハラルなので、中東から仕事や留学でマレーシアに来るムスリムの方にとってはすごく暮らしやすいと思います。
息子の通う学校では、小学5年生以降の生徒が毎年海外に行く修学旅行があります。最後の卒業年はイギリス10日間。それ以外の学年時には、マレーシア近郊国に5泊ほどで行きます。
息子の旅行先は過去2年間はインドネシアとベトナム、今年は台湾への5泊6日でした。
初日はクアラルンプールの空港集合だったので、出発を待つ間、見送りに来ている親たちと話す機会がありました。
アフリカ人のクラスメイトのお母さんと話をすると、南スーダンから子供の留学のために母子で来ているとのこと。お父さんは南スーダンで働いているそう。
南スーダン共和国は内戦を経て、2011年7月にスーダン共和国から分離独立を果たした「世界で最も新しい国」です。しかし、現在でも貧困や難民など、多くの問題を抱えている国でもあります。
そのような話はニュースでなんとなく耳にしますが、こんなに身近に当事者がいるとは思ってもみませんでした。
マレーシアを選んだ理由を聞いたところ、マレーシアでも使われるアラビア語を娘さんが話せる、スーダンは北にアラブ系ムスリムが多い、入国しやすい、多民族国家であることなどが理由だそう。
ヨーロッパも選択肢にあったけれど、アフリカ人の出稼ぎ労働者が多いヨーロッパの学校だと娘さんがいじめられるかもしれないと心配したため、マレーシアに決めたそうです。
中華系マレーシア人の生徒のお母さんとは、ビザのことが話題になりました。
中学3年生の修学旅行の行き先は中国の広州なのですが、アフリカの国籍を持つ生徒はビザの関係で中国に入国できないため、中学2年生と一緒に台湾に行くとのこと。
また、中学2年の中国国籍の生徒は、台湾に入る観光ビザが簡単に取得できないので、中学3年生と一緒に広州に行くとのことでした。
私たち日本人は、世界で最も多くの国にビザなしで入れる、最強のパスポートを持っています。
そのため、旅先を制限される機会はそれほど多くないように感じます。
ですが、今回の話を通じて、身近な知り合いや友人関係においても国交や世界情勢によって、入国できない国があるのだと考えさせられました。
息子たちは台湾でリサイクル工場でゴミの分別やリサイクルのことを学んだり、現地のインターナショナルスクールの生徒と交流をしたり、観光地を巡ってランタン飛ばしをしたり、台湾名物のパイナップルケーキ作りを体験したり、夜市で自由散策をしたりと、有意義な日程を過ごしたようです。
旅行中の食事に関して聞くと、夕食はムスリムとノンムスリムとで分かれて、それぞれのレストランに行く日が多かったとのこと。
ハラルが主流な国だと全員一緒にハラルレストランに行きますが、台湾はノンハラルが主流なので、別行動になったのですね。
また、息子が台湾にいる間、深夜に震度2-3の地震があったそうです。日本で生まれ育った私からすると、地震があるのは日常ですが、幼い頃からマレーシア生活の息子はこれが地震初体験。すごいインパクトだったと興奮していました。
旅行出発前に学校で「もしもの時にどう対処するか」のレクチャーがあり、避難訓練をしていたので、友達の携帯電話の地震アラームが鳴って起こされると、みんなで机の下に潜ったそうです。
ホテルの同室の生徒3人は全員ムスリムだったので、全員で地震が被害をもたらさないようお祈りしたそうです。リーダー格の子がお祈りの仕方を教えてくれたので、息子も一緒に祈ったとのこと。
このような体験も含め、学校生活を通して世界を知る良い体験をさせてもらっていると感じます。
「いろんな国籍の子が同じクラスにいるけれど、国によって物事の考え方や捉え方の違いや傾向はある?」と息子に聞いたところ、「国による違いは何もない」という答えが返ってきました。
異なる国籍、さまざまな文化を持つ人たちと分け隔てなく付き合える子供時代を過ごすということは、素晴らしいことだと改めて思いました。
Written by 土屋 芳子(マレーシア)