マレーシア生活10年目。2023年末に、ジョホールバルからクアラルンプールに引っ越します。
日本で言うと、大阪から東京に引っ越すイメージなので、「まあ、たいしたことはないことを大げさに」と思われるかもしれません。
ですが、知り合いがいない外国の土地で生活を始め、しっかりと根付いてきた10年目にまた新しい土地で生活を始めるというのは、わりと勇気がいることなのです。
それまで引っ越すなんてまったく思ってもみなかったのが、ある日の友人との30分の会話で、即決断しました。既成概念が180度覆るとはこのこと。
10年前に首都のクアラルンプールではなく、ジョホールバルに住むと決めた理由は、
①シンガポールという国際的にも発展している国に隣接しているから。
②イスカンダルプロジェクトという大規模開発の計画があり、将来的にものすごく発展する街になると思ったから、仕事のチャンスも広がると思った。
③クアラルンプールにはすでにさまざま分野で大御所や専門家がいるから、競合の少ないジョホールバルで、食の分野で1番を目指したい。
ジョホールバルはなかなか当初の予定のようには発展しないのですが、いつか発展した時に、長年住んでいるということをセールスポイントにして、来た仕事をしっかりと取っていきたいから、できる限りずっと住み続けると決めていました。
引っ越しをしたら、これまで10年築き上げてきた人脈やコネクションがゼロになるような気がして、それは怖かった。
首都のクアラルンプールではお金を出せば何でも手に入るので、自然と生活水準が上がってコストがかかりそうだというのもネックでした。
ある日、仲良しのクアラルンプール在住マレーシア人の友人と話をしていて、「なぜジョホールバルにずっと住み続けているのか」と聞かれ、私は上記を答えました。すると、
友人:「いつジョホールバルはものすごい発展を遂げるの?」
私:「わからない。だけど、発展した時にたくさん来る仕事を取りたいから待ってるのよ」
友人:「来るかわからない、不確かなものを待っているの?」
私:「…………(心に刺さる。ただ待つことは私らしくない。不確かなものを待つなんて、まったく私らしくない)」
友人:「今何歳?待つ時間なんてあるの?25歳なら待てるけど」
私:「………….(目が覚める。バリバリ働ける期間は私の年齢ならそんなに長くない!待つ時間なんてない!)でも、今まで築きあげてきた人脈やコネクションがゼロになるのは怖い。」
友人:「長く続けてきたんだから、これまで築き上げたものがゼロになんてなるはずない。Yoshikoがマレーシアのどこにいても、あなたを探してきてくれる人がいるから大丈夫。多少仕事を失っても、クアラルンプールに引っ越すことで得られる可能性の方がずっと大きいはず。
今までもクアラルンプールに来て仕事をしたりしているのだから、ジョホールバルにも行き来して両方の仕事を続ければいいだけ。ジョホールバルを応援したいのなら、中からより離れた外からの方が強力に応援できることも多いんじゃない?」
私:「確かにー!(泣)」
この会話で目が覚めて、引っ越しを決断しました。ハッキリ言ってくれるいい友達を持った!
東京に住む夫に相談したら、いつものようにすぐに承諾、そして後押し。器が大きい夫です。
ジョホールバルはその立地ゆえに、日帰りで通えるシンガポールで働くと給料が4-5倍になり、多くの有能な人材はジョホールバルに留まっていることが少ないという、良い人材流動問題が常にあります。
さらに、仕事の量や人口は首都のクアラルンプールと比べると圧倒的に少ないので、もっと仕事をしたいとずっと思っていました。
毎日なにかと忙しいのですが、狭い世界の中では仕事量と収入が比例しなくて、それにより自分のやり方にずっと自信が持てない状況がありました。
特に、食関係で日本とマレーシアをつなぐ仕事に注力したいと長年思っていましたが、視察や進出目的で来る日本人は、クアラルンプールやシンガポールにはたくさん来ますが、ジョホールバル来る方はごくごくわずかで、お手伝いできる機会が少ないです。
クアラルンプールに引越しをしたら、この分野の仕事をもっとしていきたいです。
だからといって、10年前に住む場所をクアラルンプールにせず、ジョホールバルからスタートしたことは、今の私の特色を作り上げることになり、よかったと思っています。
日本人が少ない場所なので、否応なしにマレーシア人のコミュニティーに入っていくことになり、人脈を作れたことは何物にも変え難いこと。
これからは拠点をクアラルンプールに移しつつ、クアラルンプールとジョホールバル両方の仕事をしていきます。
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