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言葉、人間関係。エクアドルでの初めての駐在生活を振り返る

2023年5月8日
マットン美貴子 (エクアドル)

日常生活に困らないスペイン語の目標は達成

エクアドルで暮らし始めて二年。駐在組である私たちの移動の話も出始め、エクアドル生活も振り返りの時期を迎えてきた。

スペイン語も話せず、エクアドルについての情報もなく、サバイバルのような形で始まった生活ももうすぐ終わると考えると感慨深い。手探りだったなりに、築き上げてきたライフスタイルや人間関係がある。

外国で暮らすにあたり、一番気になるのは現地でのコミュニケーションではないだろうか。

永住組なら「できるだけ現地語をネイティブレベルまで」など、語学習得のゴールも立てやすいかもしれないが、私のような期間限定の帯同で海外に住むとなると、どこまで現地の言語を習得するか悩むところだろう。

私の場合、「買い物などの日常生活に困らない程度」というのが目標だった。いまだにボロボロのスペイン語ではあるけれど、その目標は達成したように思う。

はるか昔、私が英語を始めた頃は語学習得するなら英会話スクールか留学が王道だった。ワーホリを利用してカナダに渡った私は、朝はコーヒーショップでバイトし、午後は語学学校に通っていた。

その当時はほとんどの生徒が分厚い辞書をもち、ノートをとっていた。あんなに学校で勉強して、必死にノートをとっていたのに現地のネイティブスピーカーと話すのが面倒くさかった。

「英語は世界の共通語」「英語が話せると便利」と思って始めたけれど、「どこまでやれば十分」というゴール設定がなかったので、いつまでも自分の語学力が不十分な気がしていた。

 

スペイン語が話せなくても、流れ始めたラテンの血?

その頃と違い、私の今回のゴールは「日常生活に困らないこと」とはっきりしていた。行動範囲も広くないのでその中で通用すればよいのだ。

グアヤキルには語学学校はないけれど、オンラインでスペイン語のレッスンも受講できるし、スマホがあれば翻訳もでき、昔に比べると、語学習得のハードルがだいぶ下がってきたように思う。

エクアドルに住み始めて1年過ぎた頃には、日常生活のコミュニケーションにはほとんど困らなくなった。

会話のすべてが理解できるというよりも、単語と前後の状況から内容を察するという程度で、きっと頓珍漢な答えを返していると思う。

でもエクアドルの人たちは優しくて、そんな私の話に耳を傾け、遠慮なく話しかけてくれる。私のスペイン語力がイマイチだと知っても会話を諦めず畳みかけるように話し続ける。

シャイな人なら面倒くさいと感じるかもしれないが、私はその大らかさが気に入った。

当初はスペイン語のテレビ番組も「なにをいってるかわからん・・・」と雑音のように感じていたが、今では字幕付きでスペイン語の番組も見るし、シャワーに入る時も料理する時も、サルサなどラテン系音楽を聞いている。

音楽にはまったく興味のなかった私が、ここに来て初めて好きなジャンルの音楽に出会った気がする。

今ではラテン音楽を聴くと、わたしの中には流れていないはずのラテンの血が騒ぐようになってきた。興味のなかったサッカーも、ここに来て観戦するようになった。

 

エクアドルで出会ったユニークで温かい人々

エクアドルに来てから1カ月くらいたった頃、近所のZUMBAのクラスに通い始めた。

申し込みはGoogle翻訳でスペイン語に訳したものをメールで送った。対面で申し込みだったら、言葉の壁が心配すぎて行かなかったと思う。まさに、テクノロジーが私に1歩踏み出す勇気をくれたといってもよい。

「気に入らなければやめればよい」と思っていたが、インストラクターの教え方もさることながら、人柄も素晴らしく通っているうちに二年以上経ってしまった。

運動がメインの目的でZUMBAで友達を作ろうとは思っていなかったけれど、クラスメートともなんとなく仲良くなることができた。

私の誕生日に行われたクラスでは、日本のお祝い色である赤いシャツを着てZUMBAをし、そのあとにエクアドルの定番ともいえるボロンとティグリージョ(食用バナナを使った料理)を食べながら誕生日を祝ってくれた。

近所の商店の店員は、私がスペイン語で簡単な会話ができるようになった頃から、声をかけるようになってきた。

私が日本人と知ってから、私のことを「ハポン(日本)」「オキナワ」と呼ぶようになり、時折、日本関連のキーワードで私を呼ぶようになった。「サムライ」「キモノ」「サムライ」などと呼ばれ、この間はついに「ドラえもん」と呼ばれた。

自己紹介のタイミングを逃してしまったので、いつ本名を言おうか悩ましい。ちなみにその店員の名前を私も知らない。このままお互いの名前を知らぬままサヨナラするのだろうか・・・。

ネイルやヘアカットをしたい時も、その商店の隣にある美容室に通っている。最初は店員が、「スペイン語が話せないアジア人」として接している感じだったが、今では常連客として名前で呼び合う仲だ。

8人目にしてようやく出会えた、時間通りにお迎えに来てくれる運転手マヌエルも、おすすめのサルサの歌手や曲を教えてくれたり、出不精の私のお出かけを楽しみにしてくれる。

週1回来る家政婦のマーサも、快適な空間を維持するために欠かせない存在だ。私の愛犬のトリミングと健康管理をしてくれる、ドクターディエゴにもいつもお世話になっている。

友達とまでは呼べないけれど、限られた日常生活の中で培ってきた人間関係。

この人たちに出会えなかったら、私の生活はすごく不便で味気ないものだったろうなと思うと同時に、もっとスペイン語ができていたら関係を深められたのにと悔しい思いがする。

数年ごとに移動する、ベテラン海外駐在組の先輩方も同じ気持ちを感じたことがあるだろうか・・・。

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