1年生の修了式の様子。女子はヘソ出し!
გამარჯობა !!(ガマルジョバ!)みなさん、こんにちは!ナミです。今回はジョージアのインタースクールに子供を通わせて感じたこと、ジョージアでの教育移住ついて私の思うことを書きたいと思います。
前回のコラムの中で、娘たちが通っているインターナショナルスクールでのほとんどの授業がジョージア語だったことに驚いたということを書きました。インターナショナルスクールなのだから、当然授業は英語で行われると思っていたからです。
当時の本音を言うと、「インターの意味ないやん!」でした。もちろん英語の授業もありますが、メインはジョージア語。中学生くらいになると別ですが、小学校低学年ほどジョージア語の割合が高くなります。
では、教育移住先としては失敗だったか?と言うと、私はジョージアで良かったと思っています。
娘たちは学校に通い始めてわずか2ヶ月でジョージア文字の読み書きができるようになりました。そして8ヶ月が経った頃には日常会話、街の人に何か尋ねたり、雑談したりなどをジョージア語でできるようになりました。
「ジョージア語がペラペラになった」というよりも「自分が知ってる言葉を繋ぐ能力」「相手の言葉が全部分からなくても推理する能力」が身についたように感じます。
この「知ってる言葉を繋ぐ能力」「推理する能力」こそが日本の教育ではなかなか身につけることができない、でも一番必要な言語能力だと私は思います。
近所の子供たちと遊ぶ娘たち。近所のおばさま達が見守ってくれる昭和のような風景
そして、その力は英語にも応用され、なんと英語力もアップしました。
日本に住んでいた時、娘たちは一応英語教室に通っていましたが会話できるレベルではなくABCの歌が歌える程度でした。それが今では日常会話ができるようになったのです。
ジョージアに来て一番良かったのは、私含めて「分からないことを恐れない」ようになったことです。
特に長女は日本にいた時、失敗すること・分からないことを極端に恐れていました。問題を解いて間違えるくらいなら白紙で出す!間違ったら全部破って捨てたり消しゴムで決して無かったことにする!という行動に出ていました。
長女は軽度の発達障害で療育手帳(B2)を取得していました。その特性なのかは分かりませんが、不登校気味でずっと保健室にいたり、毎朝私が校門まで送らないと学校に通えず、笑顔も少なく、ちっとも楽しそうではありませんでした。
このままではダメだと悶々としていたところに、パートナーとの縁があり、思い切ってジョージアに飛び込みました。
当初は「とりあえず半年!」と下見のつもりでしたが、予想に反してとても過ごしやすい国だったので、そのまま帰国することなく1年が経過しました。
果物屋さんが「おまけだよ!」と枝ごとくれました。おまけが大きい!
ジョージアの人々は子供にとにかく優しく、学校の先生も愛情と熱意を持って接してくれました。
特に長女は満面の笑みで笑うようになり、次女はもともと言葉が達者だったのもあって家族で一番ジョージア語が話せるようになりました。それは子供たちにとって大きな自信を育むことになりました。
もっと英語が普及している国に移住していたら、きっと私は今ほど娘たちを頼らなかっただろうし、褒めなかったと思います。「ここの文法が変だ。このスペルが間違っている」とダメ出しをしたかもしれません。
ところがここジョージアでは、私は娘に「これってなんて読むの?」「◯◯って言って!」と頼っています。そして我が子に対して、心から「すごい!」と思っています。これは英語ではない、第三言語圏だからこそできたことだと思います。
教育移住=英語圏じゃないとダメ!とは限りません。私の経験がどなたかのご参考になれば幸いです。
Written by 宮下なみ子(ジョージア)