ブラジルに行こうと思ったきっかけは、エクアドルに来てから一年あまりたった頃に、Facebookに届いたメッセージだった。
「みきちゃん、ブラジルにいる親戚の〇〇だよ。覚えているかな?〇〇子の孫だよ」と書かれたメッセージだった。
外国人労働者として日本に来ていたその彼とは、20年以上前に一度だけ会ったことがある。プロフィール写真ですぐにその彼だと分かった。
聞くと、彼は再び日本に戻ってきて働き始めたという。私がエクアドルに住んでいることを話すと驚いていた。
伯母夫婦が築いた家族がブラジルに居るのは知っていたが、だいぶ前に会ったそのFacebookを通してコンタクトしてきた彼以外のことは名前以外ほどんど知らなかった。
しかし、その彼がブラジルの家族たちとのワッツアップグループに私を追加してくれたことで、まだ会ったことのない彼らとチャットを通して交流が始まった。
従姉がくれた親戚たちとの写真とサントスの夕焼けの絵の置物
1954年に私の伯母は夫と生後半年の長男とブラジルに移民した。そこでさらに一男二女をもうけたが、たまに伯母と連絡を取っている私の母によると、ブラジルでの生活はとても厳しく苦労しているとのことだった。
20年以上前、その伯母夫婦と長男は「季節労働者」として日本に戻ってきた。当時、日本の経済成長は順調、かたやブラジルでの生活は相変わらず厳しかったらしい。
私は「一度は意を決して外国に移住しながら、また母国に外国人労働者として戻って来ることになるとは、どんな気持ちなんだろう」と感じていた。
私の母もいつも伯母たちの生活を気にかけていたので、私にとってブラジルは陽気なイメージでありながら、なんとなく物悲しさを感じさせる国だった。
残念ながら3人ともすでに他界し、ブラジルと日本にいる私たちをつなぐ糸は消えてしまうかと思われたが、前述の親戚の一人が私を見つけてくれたことで、その縁が復活することになった。
その頃から南米にいる間に伯母夫婦の墓に手を合わせにブラジルに行きたいと思うようになり、先月ついに実現することができた。結果から先に言うと、今までいったどんなラグジュアリーな旅行よりも、心に深く刻まれる旅になった。