前編で衝撃的な「癌の骨転移」を告知された私。
告知を受けて泣き崩れてしまった後、どこの臓器に転移元の癌があるかを見つけるためにMRIを受けた私は、翌日に再度産業医と面会した。
待合室で待っていると、昨日よりも険しい表情をした産業医が現れた。
早足で私を診察室に導いた産業医は、目を伏せたまま私を座らせた後、「昨日のMRIの結果が来ています」と神妙に、そして困惑気味に言った。来た。この瞬間がとうとうやって来た。
ようやくオーストラリア生活が安定し始めて、一人暮らしも楽しんでいた矢先に「癌」にかかるなんて…あぁ、絶望感。
いったい何の癌なんだろう。抗がん剤とか放射線治療とか、私、耐えられるんだろうか?費用は?何が悪くて癌になったんだろ?
私の頭の中は極度の緊張、不安、疑問が混ざり合いグルグルと回転していた。すると、さっきよりもさらに険しい表情になっている産業医が、声を絞り出すように話し始めた。
「MRIの結果が出たんですが…、癌が…癌がですね、見つからないんです。癌がどこにも見つからないんですよ」と、ちょっとばかり泣きそうになっている産業医。
「へ?」どこかで「鳩が豆鉄砲を喰らった顔世界選手権」が行われていれば、きっと堂々の優勝を果たしていたであろう私。
困惑しきった顔で検査結果を睨みつけながら、「でも、前回の結果には『転移してる癌』となってるんですよ」と、すがるような声で言い続ける産業医。
産業医の話しを聞きながら、今まで完全に打ちのめされていた私の心が、少しづつ息を吹き返し始めた。
「え?私、癌じゃないの?え?大丈夫なの?まだ生きれるんじゃない?」
暗闇のどん底から、いきなりふわりと引き上げられた感覚を覚えたその瞬間だった。私の右脳と左脳の試合開始のゴングが鳴ったのだ。
「私、大丈夫なんだ!癌が見つからないんだもん。じゃ、癌じゃないんだね!よかったー!」
「おい!違うだろ!背骨にあるのは転移した『癌』なんだよ。だからアンタは癌なんだってば!大丈夫じゃないんだよ!」
もう何がなんだかわからなかった。ただボーゼンとしているしかできなかった。
すると、産業医が「あなたの背骨の映像を癌の専門医数人に見てもらったのですが、癌だという意見と、癌じゃないという意見が出ています」と言うではないか。
私はすぐに国立病院の骨の専門医にまわされ、そこから約1カ月、悪性か良性かを調べるための検査通院の日々を送った。そして、結果はほぼ100パーセント良性と判断された。
良性と診断が出てホッとしたのも束の間、今度は外科医から受けた手術方法の説明に気を失いそうになった私。7番目の背骨にできた腫瘍を切除するには、7番目の背骨ごと切除する必要があると言うではないか。
背骨を切り取ってもフツーに生きてられるなんて、現代医療がここまで進化していたことに驚愕と感動を覚えた。
それから約2週間後に、7番目の背骨と腫瘍の切除手術を受け、2週間弱入院した後、無事に帰宅した。ちなみに、7番目の背骨を切除した後は、肋骨から削った小さな骨をそこに移植した。
帰宅してから2、3ヶ月間は体を思うように動かせなくてちょっと大変だったが、その時間の中で溢れるほどの感謝を感じることができた。
体の回復のプロセスが進んでいくと同時に、忘れてしまっていた「感謝の意識」が息を吹き返し始めた。
自分の死と真剣に向き合ったからこそ気づけたたくさんの思い。「死」を尊いものと意識するから「生」も尊いものになる。
この体験で、私の元から去っていこうとしていた私の人生が「じゃ、もう一回だけチャンスあげるよ」と戻ってきてくれたと確信している。
人生は本当に一度きり。生かされているこの時間で、精一杯自分の人生に情熱と愛を注ぐことが、私にとっての「生きる」ということ。
そして今、情熱と愛を注がれる人生こそが、真の輝きを放つことを確信しながら生きている。
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Written by 野林薫(オーストラリア)